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第二章 意識のテクノロジー 8

 

夢はどこで視ているのか? 

 

 では例を挙げながら、どうして第三の眼の能力は誰もが持ちえる潜在能力なのかを書いてみます。 

 

 私たちは目を開けてものを見ます。

 

  前にも書いたように、生理学的に書くと、瞳孔に入る光りを通じて映像を眼球の中で受け取り、大脳の後部にある後頭葉の視覚中枢に信号が達しすることによって初めて視覚が生まれます。 

 

 しかし、実際にはどうなのでしょうか?

 

  目を閉じたまま何かが見えることは有り得ないのでしょうか?

 

  一番簡単な例は、わたし達が定期的に見ている「夢」です。 

 

 夢を一度も観たことが無い人は非常に稀だと思います。 

 

 夢の鮮明さは人によって違い、明確に全てを思い出すことができるいる人もいれば、曖昧な感じでしか思い出せない人もいます。 

 

 人によっては「ルシッド・ドリーム 鮮夢」と呼ばれるとても明確で色鮮やかな夢を観る場合もあり、ルシッド・ドリームの中ではドルビー・サラウンド音声付きの夢体験をする人もいます。 

 

 ここで何が言いたいのか?

 

 夢を観ている間には基本的に目を閉じています。 

 

 これは映像を受けとるのは眼球ではなく、瞳孔や眼球は目の前にあるイメージの通り道であり、わたし達は誰でも「実際には眼球ではなく、脳裏で映像を見ている」ことを指しています。 

 

 実際の目を通じて見える映像と、目を閉じて脳裏で思い浮かべる映像には遥かな差があります。 

 

 目を開けて見ている場合は、眼球のレンズを通じて目の前の風景が直接そのまま脳裏に送られてくるので、全てがことこまかく鮮明に見えます。 

 

 目を閉じてしまうと、送られて来る映像が消えてしまうので真っ暗になり、その状態で脳裏でものを思い浮かべると、とても不鮮明であやふやな感じがします。 

 

 しかし、このどちらも脳裏で映像を捉えていることには変わりはありません。 

 

 私たちは眼球で風景を見ているのではなく、脳裏で映像を捉えているのです。 

 

 目でものを見ているというアイデアは、視覚的な錯覚というか、思い違いです。

 

 目は映像の入り口、通り道であるに過ぎません。 両目のレンズを通じて取り込まれた映像は、脳の中で受けとられるのです。 

 

 

☆映像の終着点はどこにあるのか? 

 

 目を開けて思い出す、目を閉じて思い出すに関わらず、どこかで映像として思い出すことに違いはありません。

 

 それは頭の中なのでしょうか?  

 

 それとも脳の中なのでしょうか?  

 

 脳の中だとするのであれば、いったい脳の中のどこの部分で思い出しているのでしょう? 

 

 生理学的に人間が記憶を思い出す時はニューロンのネットワークを使った回路を使っているとされています。

 

 また脳の大脳辺縁系に分類される、対をなしたタツノオトシゴのような形をした「海馬」と呼ばれる部分が記憶を保存すると言われ、この記憶の貯蔵庫を手術で除去してしまうと新しいことを記憶できなくなるそうです。 

 

 では「記憶」を例にして意識の視点を説明してみます。

 

 わたし達は意識的になってテスト勉強の答えや電車の時刻、買い物のリスト、クライアントの名前を覚えるなどの他にも、潜在意識化では絶えず物事を記憶し続けています。

 

 そして人間の記憶は、思い出す過程で様々な影響を受けて変容してしまいがちだというのは知られています。

 

 例えば「フォルス・メモリー」というものがあり、過去にテレビや映画で観た映像が、自分の体験した記憶と混在してしまうことがあるのがわかっています。

 

 それだけわたし達が記憶を思い出す行程には曖昧さが多いということです。 

 

 これをポジティブに捉え直してみると「記憶を思い出す行程は柔軟性を持っている」という風に言い換えることもできます。 

 

 では昨日の夜に食べた夕食を例にしてみます。

 

 昨日の夕食を食べた時に、あなたは意識的に「今晩はこの夕食を食べたことを記憶しよう」とは思わなかったでしょう。

 

 それでは、いったい何を食べたのかをできるだけ詳細に思い出してみて下さい。

 

 あなたは一体どのように思い出しますか? 

 

 その記憶、または映像を一体どこで思い出しますか? 

 

 目を閉じて思い出しますか? 

 

 それとも目を開けたまま思い出しますか? 

 

  

 ではもう一回なにかを思い出してみてください。

 

 あなたは思い出した映像を、目でものを見る時のように大脳の後ろの部分で観ているように感じますか? 

 

 それともどこか別の場所で観ているように感じますか? 

 

 

 では次の実験です。

 

 再び昨晩食べた夕食を思い出してください。 

 

 あなたは目の前に出された食事そのものを思い出しますか?

 

 その場面をどのように思い出すのか記憶を呼び起こしてください。

 

 夕食を食べているシーンをどのように思い出しますか?

 

  

 思い浮かんで来た映像は、一体どのような映像でしょう?

 

 目の前に食事があって、箸を持って食事を口に持っていく映像ですか?

 

 思い出した記憶の中に、自分の姿が入っていましたか?

 

 それとも目の前の食事だけですか?

 

 

 この簡単なエクササイズを多くのクライアントさんに行ってもらいました。

 

 そして皆さんが驚いたのは、思い出した映像の中に自分の姿が入っていることです。 

 

 自分の両目を通じて記憶されているはずの風景は、目の前に出された食事だけではなく、食事をした空間、食事をしている風景を身体の外から観察しているように思い出せます。

 

 記憶処理というのは多角的な方向性を持っています。 

 

 記憶の思い出され方が、実際の目を通じているかのように思い出される場合でも、脳裏の中で再構成されて空間として思い出される場合でも、それらの映像を脳裏で思い浮かべていることには変わりはありません。

 

 視覚的な映像というのは、脳裏の中で再生されます。

 

 実際に目を開けてものを見ている場合でも、目を閉じて何かをイメージしている場合でも、脳裏で映像を受け止めています。

 

 目を開けてものを見ている場合は、眼球のレンズを通して絶えず映像が送られてき来ますから、細かな部分まで見ることができます。

 

 目を閉じると映像は見えなくなり、今まで見ていた映像を思い出そうとしても、目を開けている時のように明確には思い出すことが難しいしょう。 

 

 それは目を開けて見ている時に「映像が意識的に脳裏に記憶されていない」からです。 

 

 私たちは目を開けている時は絶えず映像を見ていますが、では受けとっている映像がそのまま脳裏に記憶されているかと言うと別問題なのです。

 

 

☆ものを見ていても細かく記憶していない 

 

 では次に美術の時間に習ったデッザンを例にして書いてみます。

 

 デッサンする対象が目の前に置かれて、それをできるだけ細部にわたって本物のように紙の上に描き出すのがデッサンです。

 

 この場合は目を開けて対象物を見ながら、それを紙の上に写すのです。 

 

 視点は対象物と紙の上を行き来してデッサンを仕上げて行きます。 

 

 では、対象物を細かく観察して記憶する努力をしてから対象物を隠してみましょう。 

 

 そして記憶だけを頼りに、対象物を見ながらの時と同じように紙の上に描くことができるでしょうか? 

 

 私たちは朝起きてから夜になって寝るまで目を使って、様々な映像を見ながら一日を過ごします。

 

 しかし、その生活の中で見たものが全て明確に記憶されているのか? と聞かれたら、一日に見た映像の全てを細部まで思い出せる人はかなり稀でしょう。 

 

 実際的な話し、私たちは目を開けて絶えず映像を見ていますが、記憶しているわけではなく、それらの多くはただ映像として脳裏の中を流れてゆくだけなのです。 

 

 ただ流れ去っている映像は、いざ思い出そうとしても明確には思い出せません。 私たちは目を使ってはいますが、ただ見ているだけで、意識的に記憶はしていないのです。 

 

 稀に「フォトグラフィック・メモリー」と呼ばれる、見ているままを、まるで写真を見る時のように思い出せる人がいますが、そんなに多くはありません。 

 

 私たちは目を開けてものを見ていますが、目の前に広がる何かの映像を見ながら何かを考えていることが多いのです。

 

 特に頭で何かを考えている時は、目の前の映像というのは脳裏に刻まれにくいのです。 

 

 車の運転を例にとってみると、運転手は目的地に着くことと、安全運転を心がけることに意識が集中しやすいので、運転している時に視界に入っている映像を細かく記憶している暇はないのです。

 

 目に映る映像を見ていますが、その映像は流れて行くのが一般的で、意識的になって道順の風景を見て覚えようと努力しない限りは記憶に留まりにくいのです。 

 

 これは道を歩いている時も同じで、家から駅までの道筋の風景を、まるでビデオで撮影したかのように明確に思い出せる人はまずいないでしょう。 

 

 一般的に私たちの脳は、見た映像を、そのまま記憶するようには訓練されていないのです。

 

▶︎「サイキック的な感覚は誰にでもある」へ続く

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