第3章 意識の構造 05
潜在意識で保たれている肉体の機能
潜在識の中には、顕在意識で操縦するのがさらに難しい領域があります。
意外だと思うかもしれませんが、身体そのものの仕組みも潜在意識下の領域にあるものです。
潜在意識と感情は身体にも関係しています。
身体と意識がどうして関係があるのかと思うかもしれませんが、実際には身体には独自の意識があり、私たちが起きている間、顕在意識が働いている間でも無意識的に様々な行動を起こします。
多くの人たちは、自分の意識で体をうまく操縦することができると思い込んでいるかもしれません。
しかし実際にはそうではありません。
顕在意識=マインドの力で肉体をコントロールできるのは、とても狭い領域、極端に表面的なものです。
例えば、あなたは自分のマインドの力で心臓を一時停止させることができますか?
また自分のマインドの力で心拍数を上げたり下げたりすることができますか?
さらには、自分の脳波を意図的にシータ波やガンマ波、デルタ波やアルファ波に変調することができますか?
またはシータ波とガンマ波を同時に出現させることができますか?
もっと先にいって、自分の意思の力で、弱ってしまった体の部位、例えば肝硬変を健康な状態の肝臓へ復元できますか?
自分の意識の力で脳波を自在に変えたりできる人はとても少数派ですが、これはノウハウを的確に学べば比較的簡単に習得することができます。
しかし心臓を停止させたり、肉体を修復したり、治癒させたりできる人となると極めて少数になります。
簡単に書いて、世の中の大多数の人は自分の体をコントロールできません。大多数の人間は、自分で体をコントロールするどころか、逆に自分の体にコントロールされているのが常です。
自分が自分の身体にコントロールされているって?
冗談だと思う人もいるでしょう。
では、いつくか例えを書いてみます。
例えば、お腹が空いたり、眠たくなったりというのは潜在意識の領域です。
何日間も寝ていないと身体も意識も極限状態になって、そのまま気を失うように寝入ってしまいます。
お腹が空き過ぎてエネルギー値が低くなりすぎてしまうと、体力も落ち始め、次第に思考能力も落ちてきます。
仕事も集中にくくなり、極度の空腹感は失神を引き起こすこともあります。
そして身体を極限状態に持っていってしまうと、それ自体が生き延びるための思考や行動に切り替わります。
また脳内物質のバランスが理想的な状態から崩れると、イライラしたり、躁鬱になったりします。
女性であれば「生理」がわかりやすいでしょう。
多くの女性は生理期間に入ると、身体が重たくなったり、神経過敏になったり、苛々を感じるようになります。
精神性が大きく左右されるということです。男性も同じようなものです。
性的な欲求が沸き上がってきている時は、そのことしか考えられなくなることも多々あります。
身体が発情期に入ると、無性にセックスがしたくなります。
また男性の更年期障害の場合は、酷くい場合は極度の鬱に入ったり、最悪の場合は突然に自殺したりします。
更年期障害は女性だけに限られたものではなく、男性にも起きるもので、一般的にあまり認識されていません。
子供の場合、成長期に入ると体内のホルモン物質のバランスが変化し、反抗しやすくなったり、自閉症的になったり、感情的に変動しやすくなります。
思春期に入ると性に興味を持ち始め、恋愛を求めたり、セックスを追求したくなります。
お腹の痛みや頭痛などでも、痛みに意識がいってしまうので、その他のことが真っ当に考えられなくなります。
私たちの意識は自分自身の身体のコンディションによって常に大きく変化するということです。
身体には独自の機能があり、リズムがあります。
身体のリズムによって感情を含めた意識の全体性は大きな影響を受けているのです。
普通の生活の中では身体を自由に使うことに慣れているので、身体は自分の思い通りに動くという錯覚を持っています。
しかし実際にはどうなのでしょうか?
私たちの意識は身体に乗って生活をしていますが、よく考えてみると、生活の中で経験すること、特に身体に関することは意識が身体からの影響を受けている場合が多く、身体が私たちの意識を操縦しているような場合も沢山あるのです。
私たちの意識は肉体の生理学的な不調、風邪をひいて身体にだるさを感じていたり、熱が出ていたり、血糖値が下がって目眩がしたり、腎臓炎や胃潰瘍、肝機能障害などの故障、怪我や 骨折、傷を負った場合の様々な損傷などから大きな影響を直接的に受けます。
意識は自分の身体のコンデションに よって大きく揺れるのです。
さらに身体に関する捉え方を広くしてゆくと、普通ではあまり身体に結びつけないものも、実は身体に関係していることが見えてきます。
自分の身体が独自の意識を持っているという概念は少し理解の幅を超えていると感じる人も多々いるかもしれません。
そして身体独自の意識の動きは、私たちの意識とはカナリ趣の違ったものです。
意識というものを理解するうえで、自分の肉体が独自で持っている意識というのがわかり始めると、自分と付き合いやすくなっていきます。
多くの人は自分の意識と肉体そのものの意識が違うものだと理解していません。それは誰からも教わっていないからです。
なので肉体と自分を少し離して捉えるという習慣がホボありません。
現在の学校教育の中で自分の意識と身体の関係性を深く教えるカリキュラムはホボ存在しないでしょう。
学校教育の中で「自分を知る」または「自分と自分の身体の関係性を学ぶ」という授業はホボ無いに等しいのです。
なので大多数の人は、自分または人間の仕組みを知らないまま社会人になり、多くの人はそのまま生を生きて死を迎えます。
人によっては何かのキッカケによって精神世界へ足を突っ込みますが、未だに少数派だと思います。
多くの人は「スピリチュアル」という言葉を知っているとは思いますが、その理解の幅も深さも様々で、深い理解レベルまで学んでいる人たちは稀でしょう。
この「スピリチュアル」もわかったようで、わからないことが多い世界です。
極めていくと瞑想的な人生も造ることが可能ですが、しかし迷走な人生を作ってしまう人も多いようにみえます。
そして、とてもファンダメンタルな世界観が強くなります。
スピリチュアルという言葉も、その定義が曖昧すぎるために、とても巨大な誤解を生んでいるようにみえます。
ハッキリ書いて、スピリチュアルというのは、科学または化学の延長線です。
精神的な科学+化学+物理学というのが適切でしょう。
将来的にノエティック科学が進展していく段階で次第に様々な角度から明らかになっていくでしょう。
私たちの「身体」には、目で見えて、手で触れる、肉眼では見れない、触れない身体の中の器官などといった「肉体レヴェル」と、後の章で説明する、普通の目では見にくい、手では触ることのできない体内を走る気脈、径脈、クンダリーニの構造という「エネルギーレヴェル」、そして光りの波動でできているオーラの層という「波動レヴェル」があります。
目に見える肉体と、目に見えない部分の波動的な肉体は、それぞれ密接な繋がりを持っているので、お互いに連動して働いています。
肉体レベルの身体にも潜在的な力が宿っています。
簡単に書いてしまうと、第六感とか、火事場の馬鹿力とか言われるものです。
それを可能にしているのは、意識の力や、目に見えない 波動レヴェルの身体が備えている機能です。
では人間の「記憶」というものを例にあげて書いてみます。
一般的に何かを覚える時は脳を使って頭で記憶するという風に理解されがちです。
それは教科書やマニュアルなどを読む時に、頭で理解しようとするからです。
では、私たちは頭だけで何かを記憶しているのでしょうか?
身体で覚える、感覚で覚えるという言葉があるように、覚え方には幾つかの方法があります。
今までの人生を振り返ってみて、何か身体で覚えてきたことが全く無い人は数少ないでしょう。
記憶する能力というのは脳だけではなく、身体全体を通じてもあるのです。
そして私たちが何かを把握する感覚というのは、頭というよりは体を通じてのこと圧倒的に多いでしょう。
例えば「見よう見まねで覚える」という言葉があります。誰かの行為を見て、それを通じて事を覚えるということです。
このような学習方法は「実際に見て覚える」というふうにも言われます。
この「見よう見まねで覚える」「見て覚える」場合のことを思い出す時に、意識的に頭の中に記憶しようと努力していますか?
多くの方は頭で覚えるという意識すら薄いでしょう。
見て覚えるというのは、見たものがそのまま記憶される、見たものを覚えるというもので、考えて覚えるというものとは遥かに趣の違うものです。
この「覚える」という部分をさらに深く書くと、脳が覚えるというよりも、身体とその感覚を通じて「自分の意識が経験を通じて覚える」というのが正解です。
ではサイキックな観点から、覚える=記憶に関する部分を書いてみます。
クライアントから情報を読み取る時には、相手の脳の中にアクセスするよりも、その他の部分に接続することの方が多いのが実情です。
記憶または記録は脳という器官または機能の中ではなく、身体全体、オーラの中に保存されている情報を読み取ります。
「記憶=記録=情報」は、全ての肉体のレベルと、それに連動しているエネルギーレヴェルのエーテル体と、波動レヴェルのオーラに連動するようにして記憶されているのです。
人間操縦マニュアル
私たち人間は生まれた時に「人間操縦マニュアル」というものが渡されません。
人間という生き物はどういう存在で、どんな仕組みになっていて、どのようにすれば人間としての機能が全開できるのかが知らされないのです。
人間そのものとしての機能と、その使い方を知らないので、使える部分はわかりますが、残りの潜在的に隠れている部分に関してはわからないのです。
これは人間の脳は約20%しか使われてなくいと言われるのと同じです。
私たちは生まれた時から自分を取り巻く、親や兄弟、家庭、学校、社会などといった環境と接することによって様々なことを学び始めます。
人間にはその他の動物に比べると飛躍的に発 達した学習機能があるということです。
学校では私たち人間の身体の仕組みを西洋医学的な見地から肉体解剖学的に一通り学びますが、深いレヴェルの内容ではなく、東洋医学的な内容は含まれてはいません。
科学の授業でも「電気」はエジソンが発明し、それがどのように働き、何をするかを教えてくれても、実際にそれが「何」なのかは教えてくれません。
これと同じ領域のものに「光り」があります。
「光」の果たす役割というのは分かっていますが、実際にそれが何なのかが判明されていないので、「光子」が起こす「現象」という表 現の仕方で終わってしまうわけです。
精神的な在り方の部分では学校での授業の中には社会道徳なども含まれますが、心理学的な内容でないですし、意識の構造やその仕組み、さらには使い方などは一切含まれてはいないの が実情です。
私たちが学校教育で習う「人間に関する内容」というのは非常に部分的で視野の狭いものなのです。
これは多くの人が車を 運転することはできるけれども、車がどのように作られているのか、どんな部品でできていて、どのようにお互いが関係して稼働しているのかを知らない状態と同じです。
運転はできるけれど、何か異常をきたしたり、壊れてしまったら自分では修理が難しいのでプロに頼むしかありません。
その構造を深く理解していないものは、他にもコンピューターやら電子レンジやら、例えは切りがありません。
それらの日常製品はいつも手の届くところにあって、意識することなく実用的に使えてしまうのです。
そして使うことに慣れてしまうと、無意識的に使えるようになります。
簡単に使えるけれど、それがどういう仕組みなのかを明確に理解しているわけではありません。
多くの人達が捉えている人間の身体というのは、先に書いたテレビのリモコンと同じような位置にあるのです。
気がついたら身体を持っていて、何も深く考えることなく使えるけれど、実際にその中身がどうなっているのか、どんな機能が搭載されているのか、どこのボタンを押せばどういう切り替えができるのかを知らない状態なのです。
人間が潜在的に持ち備えている「霊的な能力」に話しを戻しますが、私たちは隠れている能力の「使い方を発見」する必要があります。
言い方を変えると「使い方を思い出す」必要があるのです。
現在のコンピューターのソフトというのは「使い方マニュア ル」というのが本体に付いて来ない場合が多々あります。
これは私たちの「人間操縦マニュアル」を持っていない状況に酷似しています。
それは無駄な紙を使わないというエコ的な思考もありますが、インターネットの世界が飛躍的に進化して普及し てしまったことが原因です。
現在ではコンピューターとインターネットは切り離せない状態になっています。 そのような現状から、ソフトウェアにマニュアルが本としてついてこなくても、オンラインを通じてマニュアルにアクセスしたり、Q&Aや、お客様サービスにアクセ スできるようになっているからです。
潜在的に隠れている能力に関することも、これと同じ原理で捉えることができます。
私たちの意識を潜在意識的な領域と超越意識的な領域に「オンライン」させる、顕在意識をその他に接続することができれば、人間を上手く操縦するためのマニュアルにアクセスして必要な情報をダウンロードすることが可能になるのです。