第二章 意識のテクノロジー 09

 

サイキックな視覚は誰にでもある 

 

 一般的にサイキック的な視覚でものを捉える能力は特殊なもので、限られた人しかできないと思っている人がほとんどでしょう。 

 

 スピリチュアルなことを勉強していて、サイキック的に視ることを望んでいる人から良く聞く言葉があります。

 

「私は視えないんです」と言い言葉です。

 

  また「どうすればサイキック的にものが視えるようになるのですか?」と聞かれることも多々あります。

 

 私の観点からしてみると誰でも視える能力があるように視えます。

 

 そして 数え切れない程の「視えない」「視えるようになりたい」という人たちに会って来た経験から、それらの人たちの全体像を霊的な視点や感覚を使って観察する癖がついてしまったくらいです。

 

  私のところには視える人たちも訪ねて来ますから、私自身も含めた「視える人たち」と、彼らとの比較対象として「視えなない、視たい人たち」との違いを探し始めました。 

 

 その両方のタイプの表す思考の動きとか、目の動きとか、物を見ている時の目の周辺の波動の動きとか、脳波の状態とか、脳の周辺の波動の動きを観察したのです。 

 

 視える人たちを超感覚で観察している間に、いくつかのことが分かりました。 

 

 その中で最も顕著なのが「視ている時の目の動き」です。 

 

 視える人の大半は、普通の視点を霊的な視点に切り替える時に、目の動き、眼球の位置を変化させます。

 

 その中で最も頻繁に観測できたのが、意識を「視るモード」に切り替える時に、眼球を右上45度近くに動かすことです。 

 

 視える人の全てが眼球を右上45度に動かすのかと聞かれたら、そうではありません。 

 

 場合によっては真横に動かす場合もあれば、正面やや下向きの場合もあれば、左下45度などの場合もあります。 

 

 そこで次に視ている時の「眼の焦点の動き」を観察し始めました。

 

 視るモードに入る時には、眼の周辺の波動が明確に変化します。 

 

 そして瞳の焦点が、ズレるような、物理的にどこにも眼の焦点が合ってないようになるのです。 

 

 そんな観察を続けるのと同じように、視えないと言う人たちと会って話しをしている時に、彼らの眼球の動きや意識の動き方、眼の周りの波動の変化の仕方なども観察し始めました。 

 

 その結果に分かったことがあります。

 

「視える人」と「視えないと言う人」の間には、そんなに大差はありません。

 

 多くの人はサイキック的にものが視えるというアイデアに対して、とても大きな思い違いというか、勘違い、誤った認識を持っています。 

 

「私は視えない」「視えるようになりたい」という人たちも、すでに視える人たちが霊的な視覚を駆使する時に使う機能とほぼ同じ機能を日常生活の中で使っているのです。 

 

 視える人も、視えないと言う人も、同じように基本的に持ち合わせている機能を使っているのが分かった時に、その違いを考えました。

 

 「私は視えない」という人たちは「視える能力」が無いのではなく、その使い方、切り替え方、捉え方が良くわかってないだけです。 

 

 実際には「視えない」のではなく、「視ていない」のです。 

 

 これはコンピューターにソフトウエアが搭載されているにも関わらず、そのソフトを立ち上げたことがない、立ち上げてみたけど、使い方が分からないから使ってないという状況と同じものです。

 

 前にも書きましたが、私たちは眼を通じて映像を取り込みますが、実際には脳裏で映像を受け止めます。 

 

 目を開けてものを眺めることができるのであれば、サイキック的な視覚を使って視ることは可能です。 

 

 世の中の大半の人は目を開けたまま何かを脳裏で思いますことができると思います。 

 

 また、目を閉じて脳裏で何かの記憶を思い描くことも出来るでしょう。 

 

 そして寝ている間に夢の一つや二つは視たことがあるでしょう。 

 

 これらのことが可能なのであれば、「視る能力」はすでに備わっているのです。 

 

 ちゃんと勉強すれば誰でも比較的簡単に視えるようになります。

 

 

☆霊的な視覚を向上させる方法 

 

 霊的な視覚の性能を向上させる方法と、それを使いこなす方法は赴きが違います。

 

 霊的な視覚を使う方法を実践し始めても、その性能が向上して行かなければ能力も不安定なものになります。

 

 霊的にものを捉えるための基礎としての力を発達させるのは、そんなに難しいことではありません。 

 

 毎日空いた時間に数分くらい練習するだけで、その能力は次第に性能を高めて行きます。 

 

その最初のステップは「意識的に映像を見て、それを記憶する」ことを繰り返すことです。 

 

 前にも書いたように、私たちは日常生活の中で眼に入って来る映像を脳裏で記憶することに慣れていません。

 

 誰でも子供時代に学校の教科書を読んで、数式や法則、内容を覚える努力をして来たと思います。

 

  授業の内容を覚えることと、映像やイメージを見たまま明確に脳裏に刻むことは全く別のものなのです。

 

 「えっ? そんなに簡単なことなの?」と思われる方も多いかも知れません。

 

 しかし実際に練習をしてみると、それがいかに難しいことなのかがすぐにわかると思います。 

 

 最初は形が複雑でないものを選んでそれを手に取って細かく細部まで観察することから始めましょう。 

 

 一個の林檎でもよいし、シンプルな器でも構いません。 

 

 まず手に取って360度細かく観察します。

 

 そして同じものを脳裏で思い出す練習をしてください。 

 

 林檎などの場合は、半分に切って、中の構造も細かく観察して、果実の色とか、皮の薄さとか、芯の色合い、種の大きさなど、質感や重さに至るまで、可能な限り細かく頭の中に刻みつけます。 

 

 シンプルな形状、色づかいのものであれば、比較的簡単に頭の中でソックリに再現できると思います。

 

  それができるようになったら、絵柄の入っているお皿とか器とか、林檎よりも少し複雑なものを対象にして同じようにソックリそのまま思い出す訓練を行ってみましょう。 

 

 細かな絵柄が加わっただけで、それをソックリそのまま思い出すことが遥かに難しく感じるはずです。

 

  さらに課題を難しくして、テレビのリモコンなどでやってみましょう。 

 

 その大きさ、ボタンの数、ボタンの配置、色の配置、厚さ、表面に刻まれている文字、凹凸の具合などです。 

 

 ここまでくるとそう簡単に思い出すことは難しいはずです。

 

  この練習のポイントは以下のとおり。

 

・細かく観察して細部まで記憶する

 

・記憶した対象物を頭の中でソックリそのままに思い出す

 

 対象物は何でも構いません。 

 

 一輪のお花でも、一本の鉛筆でも、一枚のCDでも何でも構わないのです。

 

  観察したものを紙の上に再現する方法もお勧めしますが、その時に対象物を見ながら行っては意味がありません。

 

 見ているものを見ながら写すことと、見て観察して、覚えて、覚えた映像を描き出すことは違うのです。

 

  日記を書くこともお勧めします。 一日の終わりに、その日の朝から晩までの行動をこと細かく思い出すようにして日記を書くことを続けてみましょう。 

 

 何時頃には何処に、どういう手段で行って、何をして、誰と会って、何を食べてなど、できるだけ細かく思い出して書き出してください。 

 

 眼に映ったもの、風景でも、街の看板でも、道順でも、食べた料理の映像的なイメージでも、職場やレストランの内装や、窓から見えた風景でも何でも構いません。 

 

 一日の中で印象的だったことがらや、誰かの言葉、自分で考えたこと、思ったことなど。

 

  たったこれだけのことを毎日行うだけで記憶力は向上を始めます。 

 

 そして記憶力の向上が、イメージを記録する能力、そして思い出す能力を高めてくれます。 

 

 重要なポイントは次の三つです。 

 

・眼に映るものを流して見ない

 

・映像として可能な限り細部にわたって事細かに脳裏に残す

 

・脳裏に刻んだものを同じように鮮明に細かく思い出す

 

 これらのエクササイズは時間さえあれば、どこでも訓練が可能です。

 

 駅で待っている1分間の間に、何か眼にとまる対象物を観察して、一度目を閉じて、見たままを思い出してみましょう。

 

  見ている対象物が複雑な場合は、観察して眼を閉じて脳裏で思い出し、思い出せない部分は再び眼を開けて観察して覚え、また眼を閉じて思い出すことを続けましょう。

 

  目標は、見たものを出来るだけ早く明確に記憶して、頭の中でハッキリ、クッキリ同じように思い出せるようになることです。

 

(実際に霊的な視覚を使っている時は、どのように見ているのか、捉え方のエクササイズを説明する) 

 

 では誰にでも霊的な視力があるという話しから、次は霊的な能力の別の側面である、超体感の能力に関する話しを中心にして書いてみます。 

 

 

▶︎「視える法則・視えない法則」へ続く