第3章

意識の構造

 

私たちの「意識」というもの

「意識」という言葉は、日常的には頻繁に使っているわりにはわかるような、わからないような、とても広い意味合いを持つ言葉で、三省堂の大辞林によるとその意味は次のように定義されています。 

 

いしき 1 【意識】(名)スル 

 

(1) (ア)物事に気づくこと。また、その心。感知。知覚。「―を集中する」「人の目を―する」 

 

 (イ)(混濁・無意識などに対して)はっきりした自律的な心の働きがあること。自覚。覚醒。見当識。「―を失う」「―が残っている」 

 

(2)状況・問題のありようなどを自らはっきり知っていること。「―が高い」「罪の―」  

 

(3)〔哲・心〕〔英 consciousness〕 

 (ア)思考・感覚・感情・意志などを含む広く精神的・心的なものの総体。特に対象を認識する心の働き。主観。物質・存在・世界・自然など、客観的なものに対する。現象学では世界を構成する超越論的自我の働き、また唯物論では存在に拘束される観念一般を意識と呼ぶ。 

 

  (イ)単なる直接的な情意作用や知覚ではなく、自他の在り方自身を察知する明瞭で反省的な心の状態。また、その作用・内容など。自己自身を対象化する対自 的・反省的働き、人格あるいは自我による統一・自律、一定水準の明晰(めいせき)さなどによって規定される。自己意識。

 

(4)〔仏〕六識の一。感覚器官による眼・耳・鼻・舌・身の五識に対し、心の働き、精神の働きのこと。第六識。   

 

 これを全般的に捉えてしまうと、精神的な心の動き、自分と他人を分けて考える力、そして自分が自分であるということに気づいている状態、今の自分や取り巻いている環境や状態をはっきりと認識できる状態のことを言えると思います。

 そして事故などに遇ったり、手術の時に麻酔を打たれて「意識を失う」というように使われます。

 また寝ている状態を無意識の状態と呼んだり、また分類の仕方によっては夢を視ている時も無意識の状態だと言われることもあります。 

 私たちは起きている時に「自分自身である」という明確な自意識を持っていますが、実際のところはどうなのでしょう?

 一体どれくらいの人達が日常生活の中で「自分の意識」というものを明確に自覚しているのでしょうか?

 時と場合によっては「無意識的な言葉遣いをする」とか「無意識的に行動していた」というような言い方もされます。

 車を運転している時でも、意識的になって注意深く運転している場合もあれば、何か他のことに注意が行って、無意識的な運転をすることもあります。

 私たちの言動というのは、頭で考えて意識的に行われたり、考えることなく無意識的に行われたりするということです。

 この意識の働き方を考えてみると、私たちが起きている時でも、意識的である状態と、無意識的である状態の二つがあるということになります。

 更に私たちの意識の状態というのは、その時の感覚の動き、感情の状態、そして持ち備えている観念によっても大きく左右されます。   

 例えば肉体的に酷い痛みを感じている時には明晰な意識状態を保って仕事をすることはできないでしょう。

 このような場合は意識が痛みの方へ動いてしまうので、その他のことは考えにくくなるのです。

 肉体的な痛みの方が意識よりも力強いということです。また何かの出来事で感情が高ぶっている時も同じように冷静な行動はしにくくなります。

 これは感情の力の方が、意識の力よりも大きいということを示しています。  

 観念というのは、今まで培って来た考え方の基礎となる価値観や考え方ですが、人によって観念の在り方は違います。

 そして誰かに観念的なことにチャレンジされた場合には、自分の持っている観念、信じていること等が崩れないように感情的になるのが普通です。

 これらのことを考えてみると、私たちの意識というのは、非常に不安定なもの、様々な事柄から影響を受けやすいものだということが見えてきます。 

 それでは次に精神世界的な考え方、超越心理学的(パラサイコロジー)な観点で「意識」というものを捉えてみましょう。

 

Trinity  三位一体

 私たちの意識というのは、色んなことを考えたりできる部分だけではありません。 考える部分の「脳」は実際には肉体の一部であり、思考を派生させる「発動機」、「発電機」で、脳そのものは意識ではありません。 

 考える能力というのは自意識の力の中の一つですが、前にも書いたように、私たちはお腹が空いたらものを食べる、眠たくなったらベッドに入る、朝起きたら自動的に歯を磨くなど、考えずに行動することもできます。

 考えている状態だけが「自意識のある状態」ではないのです。 

 ではこの「意識」というものは、一体どういう風に成り立っているのでしょうか?

 一般的にわたし達の「意識」は次の三つの意識で成り立っていると解釈されています。 

 

(1) 顕在意識 自我、自意識、セルフコンシャス 

 

(2) 潜在意識 サブコンシャス、アンダーコンシャス 

 

(3) 超越意識 トランスパーソナル、ハイヤー・コンシャス 

 

 この三位一体の構造はの仏教的な概念で捉えると「心と身体と魂」と表され、英語では「ボディー、マインド、スピリット」という表現の仕方をします。

 精神世界の中で数字の「三」とか「三角形」いうのが「バランス」を象徴するのはこのためです。

 この三つの意識が一緒になった状態を「トライ・フォース」、三つの理力と言うこともあります。 

 これを更に別の言い方で発展させてみましょう。

 この三つの意識を「点」として捉えてみます。 

 二つの点(意識)を繋げると「線」になります。

 そして更に三つ目の点(意識)を繋げると三角形になります。

「意識のブリズム」という考え方もあり、この三つの意識の点を結びつけた三角形が光りを分光する際に使われるプリズムに例えられ、この意識のプリズムを通して自身の世界が現れるという説明の仕方もあります。

 言葉尻で簡単に解釈してしまうと、超越意識が凄いもので、潜在意識が低いもののように思えるかもしれませんが、別に「超」つくから「超意識」がエラいわけでも、潜在的だから低いわけでもありません。

 なぜなら、それは三つで一つの機能として働くからです。

 意識の進化を考える時の最初の段階で重要なのは、この三つの意識をいかにバランス良く統合することが出来るか? にかかっています。

 そして、この意識の三角形という部分を理解する中で重要なのは、三角形というのは立体ではなく「平面」だということです。

 後にも書きますが、サイキック的な能力や、一般的に言われる「引き寄せ」と言う願望達成などの方法で意識の力を自分の思うように使えるようになるためには、この部分の違いを明確に理解することがとても重要です。 

 三つの点(意識)を繋げたものが三角形という平面ですが、これに四つ目の点(意識)を繋げることによって「高さ」または「奥行き」が現れるようになり、ここでようやく「立体」となります。

 三つの意識が統合された状態はまだ平面的な意識の状態であり、立体的である超現実を生きるための意識状態のことを表してはいないということです。

 

▶︎「顕在意識・自意識というもの」へ続く