第3章 意識の構造
煩悩と満足度
意識がバランス良く統合されていない状態では、それぞれの意識に対する目覚めから遠ざけさせる「煩悩(ぼんのう)」が絶 えず生み出されます。煩悩の「煩」は「わずらわしい」という意味で、「悩」は「なやみ」のことです。簡潔に書いてしまうと、様々な誘惑に惑わされやすい精神状態です。
煩悩に逆らうことなく、考え無しで自分の欲しい物に向かって突っ走ってしまうと、お金や物、地位や名声、快楽的なセックスや自己満足的な成功などと言った、精神性が低く、とても物理的な対象に愛着を持つようになります。
愛着が方向性を変えて発展してゆくとその先は執着になり、それがないと精神のバランスがとれないという状態になります。一般的に言われる「欲」と「執着」というものに縛られがちになるのです。
ではこれらの「欲」と「執着」の本質は何でしょうか?
私たちが何かを欲しいと思うときは、それを手に入れることで「満足感」を得るためです。 ある時に普通の裕福な家庭を超えた、大金持ちの方と一緒に買い物に出かけたことがあります。ステイタスの違いがありますから、普通の庶民が気軽に考えない類いの買い物です。そし て、その時の会話が印象的でした。
「1万円、2万円くらいの買い物だと満足しないの。10万、 20万の買い物でも同じ。200万から300万くらいの買い物だったら買った気になるけど、3000万円とか5000万円と、値段に億がつくの買い物のように、頭で、どうしような、 やっぱり止めとこうかな・・・? とか考えたり、ドキドキしたり、いざ心を決めた買ってしまった時の興奮みたいな感じが無いと満足しないのよ。まぁギャンブルする時みたいな感じね」
この言葉を聞いてお金の本質的な価値について考えました。
お金の使い方は「満足度」に関係するのです。
前に書いたように、子供にとってオモチャは満足させてくれる、楽しくさせてくれる、幸せにしてくれる道具だという部分です。 お金がある無い、ステイタスがある無いに関わらず、買い物をする、欲しい何かを手に入れる、欲しい経験をする、楽しい経験がしたい、または幸せな結婚がしたい、成功して認められたい、権力を持ちたい、などといった普通に人間的な行為に共有するものは何でしょう?
それは「興奮度」と「満足度」です。
何か欲しいものがある時はワクワクしたり、興奮したりします。これは脳内にアドレナリンが放出されている状態で、全体的にワクワクしたエネルギーを感じ、意識状態は興奮しています。
欲しいものを手に入れたときは、幸せを感じて満足します。これは脳内にドーパミンやエンドルフィンが放出されている状態です。全体的にエネルギーが落ちているとは感じません。エネルギーが廻っている状態で、意識状態は満たされています。
では、これらの状態に共通する次のステップは何でしょう?
満足すると、次に手に入れたい何か、満足させてくれる何かを考え、ワクワク、ドキドキさせてくれる何かを探し始めます。脳内物質の効果が切れている状態、興奮も満足感も薄れている状態です。意識状態は興奮してない、満足していません。
興奮はエネルギーに関係します。
満足なときはエネルギーに満たされている状態です。
では興奮が連れてくる「満足感」というのは何でしょう?
それはエネルギーを高めてくれる「何か」 です。
先に書いた煩悩と満足度、エネルギーという項目に絞って、 次から次に生まれてくるという様子をイメージすると「自転車操業的にエネルギーを廻すためのアイデアが浮かんでいる」という姿が現れてきます。
では、煩悩を追いかけ続け、それでも満足することなく、次から次へと「欲」の状態を進んで行くのはどうしてでしょう?
そして、ここでの本質的な学びは一体なにでしょうか?
サイクル的に煩悩が生まれるのは「何かに満足してない」と いうことを教えています。そして「満足したと思ったものが実は違っていた」ということも教えています。これから浮かんでくる答えは「満足させてくれるであろうと思った対象の選択肢が間違っている」ということです。
私たちの自我は「煩悩を」追いかけることにより、本質的に満足させてはくれない何かを追いかけ続けることによって意識の成長と、霊的な成長から遠ざかってゆきます。そして物欲的な満足感を得るためのネガティブな自我(エゴ))の側面を成長させてゆくのです。一般的に言われる「エゴ」と いうものが増長することで、私たちの精神、意識の三位一体は、バランスがとれて統合された状態から引き離されます。そして分離を繰り返す経験を通じて、悲しみや怒りを造りだし、そこから精神の混乱や破壊といったものへと進んで ゆくのです。
意識の力
ここで簡単な実験をしてみましょう。まずは、今の自分の状態を確認してください。心や精神のバランスとか、身体の均衡とか、エネルギーの状態などです。客観的に自分を全体的に把握しておいてください。
次に頭の中で、何でも構いませんから、自分が楽しくなること、例えば、好きな人と会っているイメージ、美味しいものを=食べているイメージでも、行ってみて好きだった場所、感動したことなどを思い浮かべてみましょう。できるだけ立体的に、そして実際にそれが起きているかのように感情も付け加えてみましょう。そして、しばらく自分で造り出したイメージの世界で楽しんでみてください。
それでは頭の中で創ったイメージの中で感じていた時を振り返ってみて、その時の自分の意識の状態を思い出してみてください。
あなたは全体的にどのように感じましたか?
楽しいと感じましたか?
リラックスした感じがしましたか?
頭で考えるよりは、自分の身体に聞いてみるのがわかりやすいでしょう。
では、イメージする前と、イメージしていた時、そしてイメージから離れた時のことを比べてみて下さい。一体なにが違いますか?
イメージする前と、その最中、そしてその後では、全体的な何かが変化しているはずです。中にはイメージし終っても楽しさや嬉しさが残っている人もいるでしょう。そして肉体的にも、何かに満たされている感じ、エネルギーの値が前とは変わって いることに気づく人もいるでしょう。
私たちは、考えるという「思考」の力と、「感じる」という力 を使って、意識の状態を変化させることができます。これは「思考」や「感情」には、意識の状態を変化させるこ とができる「力」があることを教えています。
ではここで前に書いた三位一体と、それぞれの意識状態の力を使って現実を動かすという部分を思い出してみましょう。前にも書いたように、思考は顕在意識の力です。そして感情は 潜在意識の力です。また思考と感情の力を使って造り出された イメージにも同じように意識の状態を変化させる力があります。イメージは思考と感情の力が統合された超越意識の力です。この三つの力を現実レベルに引き下ろすと、精神の状態、感情の状態、思考の状態、そして身体の感覚やバランスが変化します。
思考や感情、イメージというものに実態はありません。しかし、何かを動かすことが可能な「力」です。本によって は「マインド物質」や「超物質」と呼ぶこともあります。普通の意識状態では見えなかったり、わからなかったり、触れなかったりすることはできませんが、意識の三位一体が統合され始めて、それまで隠れていた 様々な能力が浮上してくると、その存在というのが物質であることが理解できるようになります。マインドで創られた何かを、物質として視たり、触ったり、体感したりできるようになるからです。
一般的にエネルギーには方向性があり、動きがあります。 それと同じように、思考や感情、イメージから生まれた力が、実際にエネルギーとして働く場合も、方向性と動きを持ちます。
私たちは意識を使って力を生むことができます。意識自体が力そのものだからです。
多くの人たちは、自分の持っている意識とその状態、そして意識の力というものに対して全く自覚がありません。それは意識に関することを一切学んできてないからです。意識という項目に関して全く無知な状態ということです。その無知さのから生まれる無意識さのために、思考や感情、そしてイメージといった意識の力を自分でコントロールすること無しに野放しで使っているのです。 そして、この意識の力の盲目的な無駄遣いが、様々な 煩悩やら、分離を生み出しています。
私たちは「正しい意識の力の使い方」を学ぶ必要があります。前の不満足を埋めるための自転車操業という内容の部分でも書きましたが、多くの人は、自分を本質的に満足させること のできないものを求め続けています。
それは自分の中の不満足さを、人間関係の中での感情のやり
不満足の法則
多くの人は、自分の中で感じている「不満足さ」を解決して くれる何かを、自分の外に探して手に入れる努力をします。車や洋服、家などといった物だったり、愛情や同情などの感情だったり、成功した地位や名誉、恋人や、家族だったりします。しかしその多くの場合は、内面の不満足さを埋めてくれることはありません。それが教えているのは、自分の外には答えが無いということです。この観点に達すると、自分の内面に意識を向けるようになります。人間の精神性に重要さを見いだす努力をするわけです。
そこで瞑想を習ったり、自己変革のセミナーに出たり、能力開発をやってみたり、引き寄せ系のセミナーで別の方法での願望実現の方法を習ったり、ヨガや気功、太極拳、ヒーリングなどの、精神世界というジャンルにアンテナが移動するわけです。さらには健康な身体に健康な意識が宿るという具合に、自然療法や、自然食、有機野菜、マクロビィオテックからサプリメント、ロハスな生活からエコ思考までが加わってきます。それら全てを繋げて理解しようと思うと、かなりのプレッシャーを感じてしまうのは当然でしょう。
この精神世界というのは非常に幅が広く、精神論や観念的な部分も多い世界なので、多くの人が混乱を経験します。精神世界で色んなことを学んでも、思ったように自分を変えられない、満足させることができない現実にブチ当たるわけです。そして別の意味での壁と不満足さを感じ始めます。
この中で最もややこしいのがどんなセミナーやワークショップでも共通して言われる「自分で自分の現実を創っている」という究極の原理です。
この言葉を突き出されたら、その意味を真っ当に理解している人は反撃できません。
「あなたは元を正せば神なのだから、自分で創った現実に責任を持ちなさい」ということです。しかし、そんな究極の原理を真っ向から突き出され、それ簡単に体得して造り出せる人はまず存在しません。そこで一体どうすれば自分の望む現実を創れるのか? という疑問をテーマにしてワークが開発され、「願望達成」や「引き寄せの法則」という、不満足さを満足させるための「意識を使った創造のツール」が古の影の中から現代に蘇ったわけです。このツールに行き着くと、自分の意識を使って自分の望む現実を創る努力を始めます。多くの場合は、お金 や成功と言った物質的な豊かさ、ビジネスと経済に通じるものですが、全ての人がそうなわけではありません。中には難病を克服するために意識のツールを使ったり、自分の内面を開いて幸せに導くために使っている人達も大勢います。そして本気で自分の霊性を高めて覚醒を目指している人たちも大勢います。
意識の進化の過程は、まず自分の中にある個人的な意識の不安定さから生まれる不満足さを、何かしら満足した状態へ移動させることを必要としているように見えます。
では、この世の中に充満している不満足な意識状態を、あらゆるレベルで満足した意識状態にするために必要なものは何でしょうか?
意識の三位一体の構造が私たちに提示しているのは、それぞれの力を段階的に使いこなして第四の意識状態を獲得し、自分が体験している現実を次の超立体的で多次元的な波動レベ ルまで引き上げるというアイデアです。
ではこれまでのおさらいです。
顕在意識の力は思考です。
潜在意識の力は感情です。
超越意識の力はイメージです。
この三つの意識から生まれる「力」を連動させることで、現実に変化を引き起こすことができるようになります。この部分は「願望達成」や「引き寄せの法則」に関係しています。
では普通の状態では目に見えない、触る事もできない、感じることもできない「意識の力」というのは、一体なになのでしょうか?
それは「波動」です。
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