第3章 意識の構造

ハイヤーセルフ

 意識の三位一体の中の最後の意識状態のことを、超越意識と呼び、この意識は他にもハイセルフ、ハイヤーセルフ、高次元の意識と呼ばれることもあります。

 わかりやすく表現してしまうと、最も神様に近い自分というアイデアですが、普通の顕在意識の状態では、自分が目に見えない高次元の自分に繋がっているなどとは捉えにくいでしょう。

 その主な理由は多くの人は自分と、自分が捉えている神という存在を明確にわけてしまっているからです。

 普通の人の場合は、自分の中に神を見いだすのではなく、自分の外に神を見て、外に神を捜すのが一般的です。

 この「神」という概念がとてもわかりにくく、思い違いを生んでいる部分なので、まずはここから書いてみます。

 神という存在は、国やその地域、そして民族的な宗教観によって捉え方が違います。

 キリスト教での神と、アラーの神、日本や中国の神様などのように、神の姿はバラバラで統一性がないのが実情です。

 神道的な概念から捉えてみると、まず国神様があり、土地神様があり、氏神様がありといった具合に神様にも色んな種類があり、精霊や動物霊なども神様と呼ばれる場合もあります。

 同じようにギリシャ神話でもゼウスを始めとして、太陽の神アポロンから月の女神ダイアナとのように森羅万象に関連する神々が存在します。

 神々にはそれぞれ個性があり、性格があります。一般的にはひとくくりで神様と呼ばれますが、それぞれ単独で個別な意識存在です。

 これらの神々は高次元のヒエラルキーによって段階的に区別され、その役割もそれぞれで違ったものを司っています。

 顕在意識を超えている意識を超越意識と呼ぶので、これらの神々も超越意識の中にまとめてしまうことも可能です。

 ハイヤーセルフも顕在意識を超えているもので、多くの神々に個性と性格があるように、ハイヤーセルフにも個別の意識というのがあります。

 私たちはハイヤーセルフの一部ですが、ハイヤーセルフの観点から捉えると、そこから枝分かれしているように存在しています。

 今の自分、過去の自分A、過去の自分B、過去の自分C、未来の自分A、未来の自分B、経高次元の自分Aと言った具合に、全てがハイ ヤーセルフの一部なのです。

 ハイヤーセルフを高次元の自分と捉えた時に混乱するのは、今の自分と、それを超えた自分が同じであるという部分です。

 基本的に同じであって、実質的には違うのですから頭の中が混乱し当然です。

 自分の両親が生物学的な親であるように、ハイヤーセルフは自分の意識の生みの親と捉えるとわかりやすいでしょう。

 日本的な考えでは「御霊分け」になります。

 私たちの意識は、それぞれのハイヤーセルフから分裂するように生まれでています。

 意識は大本の母体から分裂するように枝分かれしたもので、私たちのハイヤーセルフにも、そのハイヤーセルフがあり、そのハイヤーセルフにも元のハイヤーセルフが存在するという具合に繋がってゆきます。

 わかりやすく元のハイヤーセルフをAとすると、ハイヤーセルフAから枝分かれしたハイヤーセルフA1が生まれ、同じハイヤーセルフAから枝分かれしたハイヤーセルフA2、A3、 A4という意識は同じグループになります。

 このようなグループのことをオーヴァー・ソウル(重なって いる魂)と呼ぶこともあります。

「聖なる谷 空中都市マチュピチュを超えて」の中でも書きましたが、ハイヤーセルフとの出逢いは想像の域を遥かに超えていました。

 フナの構造が教えているように、まず自分の潜在意識の中に隠れていた過去生の記憶に繋がって、そこから超越意識として存在するハイヤーセルフの領域へ自分の意識が丸ごと移動したのです。

 身体の感覚は全く消えてしまい、自分の肉眼で見るように目の前でハイヤーセルフの姿を見ていました。

 フナの考え方だと、先祖の霊や精霊、自分と関係の深い存在たちと言った守護霊の概念も超越意識というカテゴリーに含まれます。

 後のオーラの構造の章でも書きますが、サイキック的にクライアントに関係する存在達の姿を視る時にはクライアントの後ろに父方と母方の先祖の姿が現れます。

 その先祖の姿の配列を波動的に追跡して数世代前の先祖の情報を読み出すこともあります。

 

超自我

 普通の人の顕在意識というのは意識の幅が非常に狭い状態なので自分の意識の全体の中でも限られた部分しかわかっていない、捉えられない、認識できない状態です。

 私たちには「自分は自分である」という自我があります。これと同じように超越意識の状態に入っても「私は私」という自我が存在することには変わりません。

 顕在意識の状態と、超越意識の状態に移行した時の違いは、 意識の広がりと、その拡大された視点、拡大された感覚と世界観です。

 より現実を広く濃密に捉えることができるようになり、思考の動きが鮮明になり、そして感情の動きは 極端に少くなります。

 イメージ的に表現してしまうと、全てが澄み渡って鮮明に、そして明確になる、澱みの無い状態になるという感じです。

 この超越意識の状態に入ると一般的な価値観や判断基準などが働かなくなり、頭の中でグニャグニャと紆余曲折した感じで考えなくなります。

 そうかと言って全く考えられないわけではありません。考えが曲線的や直線的ではなく、点になるのです。

 考えたことや、思ったことに関する答えが、直感という枠を超えて、瞬間的にわかってしまえる状態になるのです。

 超越意識に入る時の状況は次の二つに分けることができます。

 

 ✤ 目を開けたまま意識が変容している状態 

 ✤ 目を閉じて瞑想状態で意識が変容している状態 

 

 目を閉じている、開けている場合に共通するのは、知覚の変化です。意識が広がるので、普通の意識状態よりも様々なことが鮮明に受けとれるようになります。

 基本的には直感的な理解ですが、場合によっては更に明確に答えがやってくるようになります。

 テレパシックな能力がスムーズに働き始めるので、自分のものではない意識の存在からのコミュニケーションが行われることも多々あります。

 その場合は、自分の思考の中に別の思考が入り込んで来るという少しわかりにくい意志伝達ではなく、耳を通さず、頭の中に明確に誰かの声が直接的に入って来るように聞こえます。

 感覚的には目を閉じていても、開けていても普通の状態よりもとても広い範囲のものをモニターしているのがわかるようになります。

 普通の状態では視界に入るものの一部分に意識が当たるのが普通ですが、超越意識の状態では、感覚が360度に広がったような感じ、意識を複数のものに当ててモニターすることができる状態へ広がります。

 それまでは一つだった視点が、自分の後ろや横などと複数になり、それらを同時にモニターしているような感じです。

 目を開けている場合は普通の状態よりも瞳孔が開き、瞬きをする回数が極端に少なくなります。

 これは肉眼のレンズを通してより多くの光りを取り込もうとするからです。

 そして視覚的に目に入って来る映像が鮮明に、明確に、立体的になります。

 色彩は色が鮮やかになり、質感も立体的になって奥行きを違った感じで捉えます。

 超越意識の状態に入ると、高次元、または光次元の存在との交流が可能になります。

 そして部分的ではありますが、時間軸にアクセスできるようになります。

 普通の状態よりも時間という観念が薄くなるためです。

 後にも書きますがアカシックレコードと呼ばれている、全ての出来事を記録している集合意識の記憶バンク、図書館のようなものに繋がれるのです。

 現在までの過去に関する情報や記録、記憶にアクセス可能になります。

 しかし、未来に関しては部分的で、おおよそ確定された未来の現実が認識できる、読み取る事が可能な域の情報を受け取れます。

 目を開けている時に経験するのと、目を閉じて瞑想状態で経験する時の違いは、目を開けている時の方が世界観がより広くなることです。

 目を閉じている場合は肉眼で多次元的な世界を見ることができません。

 目を開けて超越意識の状態に入った場合は、肉眼で目の前の風景を見ているのと同時に、それに加わるように多次元的な世界が同時に見え始めます。

 例えばオーラは、現れる色彩や、その動きなどが明確に見える状態になります。

 目を閉じている場合は脳裏で映像を視るわけですが、目を開けている場合は、目の前にホログラフィックな映像が現れます。

 初体験で超越意識の状態に入ると、多くの人は普通の意識状態との違いに圧倒され、その違いに心を奪われてしまうようです。

 

頭脳で理解できない現象

 友達の紹介でコンタクトして来た人が「会った翌日の起きがけに15分くらい脳裡の中へメッセージがやって来たのですが、これは一体どういうことなんでしょうか?」という質問が届きました。

 そういうことは多々起きるのですが、私自身は意識していません。

 私は個人として物理的に一人の存在として認知されていますが、個人的な見解では、わたしの背後には、複数の肉体を持たない人たちが付き添っていています。

 言い方を変えれば、一人であって複数なのです。「まか~ウラ」という名前は複数のメンバーを持つバンド名みたいなもので、非物理次元のレベルでは一人ではありません。

 これは私だけに限ったものではなく、全人類に共通するものです。

 人間は個体であると同時に複数の存在なのです。

 私は、そんな常識はずれの経験を一回いっかい脳で考えあぐねて検算処理しようものなら簡単にオーバーフローしてしまうので、世の中そんなもんだと片付けてしまうのですが、巷の人たちはそうではないようです。

 これはUFOを観たことがない人が、その存在を肯定でないのと同じ領域のものです。

 実際に目撃を経験しても、色んな理由を探し出し、その経験のもたらす本質的なものを見ようとしないというのによく似ています。

  中には神秘体験をした後に自分を突出した存在のように感じ、教祖様の席に落ち着いたり、救世主を演じてみたり、アクティビストになったりして意識の暴走に走ってし まう人も多々います。

 自分の中の霊性のバランスが大きく変化してしまうのは仕方がないと思います。

 しかし、平常心を失い過ぎたり、エゴの暴走で自己制 御が働かなくなるのは問題です。

   これは、そういう出来事が本人の意識の狭さに対して挑戦していると いう見方もできます。

 計算式で考えても理解できない場合は、理解ができるようになるまで放っておいて、あまりしつこく考えないことです。

 理解に導くための計算式が理解されていないだけかもしれません。

  インパクトの伴う霊的な経験をした場合に、その経験がもたらす気づきの内容は、一つではなく複数の気づきの種を含んでいます。

 通常の場合は最初に受取った表層的な気づきを理解するのに時間がかかります。

 最初は瞬間的に理解したような感覚になりますが、実際にそれが意識の奥底にまで行き渡って定着するの にはかなりの時間と経験を要するのが普通です。

 大体の場合、直感的な理解というのは計算式をスっ飛ばして回答を得てしまうことが多々なので、逆算しても計算式は容易には導きだされません。

 重要なのはその経験の本質から何を受取るかであって、計算式を考えあぐね、受取った気づきの中のメッセージをかき消してしまうことではありません。

  重要なのはその経験の本質的な部分を何処まで深く意識の中に定着させることができるかです。 

 チャネラーという職種は、その存在自体がなにかしらの霊的な反応を起こすための触媒みたいなもので、なにが反応として浮き上がるかは、チャネラーを鏡として反応する本人の総合的な状態に大きく左右されます。

 チャネラーという触媒に意識が伸びたので、本人の意識のドアが開いて別次元の経験を呼び込んだという理解の仕方もできます。

  私の肉眼では目の前に座っているクライアントはひとりの形に見えますが、後ろに複数の存在が連れ添っているので複合体だ捉えます。

 代表者の本人が頭で理解できそうにない場合は、その後ろの存在達に働きかけることも多々あるのですが、彼等がどう行動するかは私のコントロールの範囲を超えてたところにあります。

 ややこしいのは、物理次元の人たちの裏で動いている方々が、本人の意識を通さずにコミュニケーションを開始してしまうときです。

 私は意識的に何もしないので「こんなことが起きたんですけど・・・」と言われても寝耳に水の状態になってしまいます。

 こう言う場合には触媒になっている私は急に眠くなったり、異常な睡眠パターンを経験する事が多々あります。

 無意識の中で動員されているというのが妥当な見解だと理解していますが、時によっては日常生活に支障をきたす場合もあるので、少し困った具合になりかねません。

 そしてコントロールしないように心掛けているので成り行きに任せます。 

 通常の常識を超えた霊的な経験をした場合には、あまり深く考え込まずに、自分の後ろでバックアップしてくれている存在達がシッカリ働いてくれているのだと思って、さらに深い理解と気づきに導いてくれるように頼むとよいでしょう。