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第3章 意識の構造 04

 

置き忘れてきた子供の自分

 リーディングという仕事は、ただ単純に「オーラの色」と伝え てあげたり、「過去生」を話してあげたり、「未来の動向」を示唆してあげたりするだけでなく、クライアントの様々な悩みとか、問題とかに関してのアドバイスや、問題解決の糸口を聞かれることも多々あります。

 その中でも「恋愛」「結婚」は人々の永遠のテーマのようなもので、将来の結婚に関することとか恋愛中の不安、離婚や家庭不和と、愛情問題に関する質問には限りがありませ ん。

 この「愛情」というものは、とても説明しにくい類のもので、人によって「愛情」に関する観点とか、概念、意味合いが違っていたりする場合も多々あります。

 結局の話「愛情」というのは、本人の考え方によって姿を変えます。

 人によっては「優しく接する」ことが愛情表現だったり、逆に「厳しくする」ことや、「放っておくこと」だったり、「執着する」ことだったりもします。

「愛情」の基本的な概念は、「相手のことを思いやる、考える、大事にする」というものだと思いますが、その表現の仕方が様々なので、混乱を生むことが多々あるわけです。

 ただ単純に子供に厳しくして自分のストレスを発散して八つ当たりするのは愛情表現だとは言いにくいですが、子供の将来を思って、躾けなどで子供に厳しくするのも愛情から派生してい ると言えなくもありません。

 私たちは新生児として生まれてきて、親の加護のもとで成長をはじめます。

 そして無防備な子供の意識は、親の精神的な状態や、愛情に関する考え方から直接的な影響を受けることになります。

 子供は子供の頃から幸せと、愛情に包まれて問題なくスムーズに育つのが理想的ですが、実際問題、世の中そうは問屋が卸しません。

 子供を育てる親には生活の中でのストレスがあり、シングル・マザーもいれば、再婚した親の元で育てられる場合もあるし、どこかに預けられて育つ場合もあるし、子供たちが置かれている状況は様々です。

 世の中の全ての人が子供を育てる際に、最大限の愛情と加護、幸せを子供に与えることができる状況にあるわけではありません。

 そこで子供は様々な状況のもとで、人生を経験し始めます。

 家庭環境は、子供の成長過程に膨大な影響を与えるのです。

 子供好きな友人が言いました。

「子供に愛情を最大限に注いであげれば、子供はスクスクと幸せに育つのよ」

 名言過ぎてグ~の根もでませんでした。

 種から芽が出て、太陽をいっぱい浴びて、お水を沢山もらって、栄養たっぷりの素地があれば、その芽はスクスクと大きく育つのと同じです。

 でも日陰で目を出すと、ヒョロヒョロになったり、背だけが高くなったり、地面が肥えていないと、同じように細くなって病気がちになってしまいます。

 環境というのも愛情と同じように大切なのです。

 さて子供の話に戻りますが、私たちは子供時代を通じて、思春期や反抗期を通り過ぎて成人し、独り立ちして、人によっては 結婚して家族を作ります。

 私たちの意識の中で、子供のころの自分は、「子供だった」という過去完了形で済まされてしまいがちです。

 しかし、それは大人意識の思い違いです。肉体が年月を経ることに成長するように、その精神も同じように成長して成熟するように思いがちですが、「精神の成長」と「精神構造」というのは、そんなに単純に一つに分類してしまえるものではありません。

 それは、大人の魂の中に、未成熟な子供の部分が置き去りにされてしまうことが多々あるからです。

 子供の頃のトラウマ的な出来事で成長を止めてしまい、その場に固まってしまった自分の子供性のことを「インナー・チャイルド」と呼びます。

 私たち大人の意識は、大人としての良識、常識、客観性を備えていることが普通ですが、かと言って、それで完結しているわけでもなく、意識は時と共に変化を続け、成長と拡大を止めることはありません。

 しかし、肉体的にも経験的にも大人になってしまうので、自分の中に子供の部分が残っているとは考えもしないわけです。

 今の私たちの大部分は、子供のころの経験からくる感情、学びの上に乗っかっています。年を経るごとに賢くなって、世間慣れするわけですが、子供の頃の経験や感情的な記憶というのは、上に重なる新しい経験、理性などに覆われて、その影が薄くなってしまいます。

 そして大人の意識は考えます。

「自分は成長した大人なん だ・・・」と。

 身体だけが大人の領域に成長しても、中に入っている意識が美しく調和と愛情にあふれて成長しているとは限りません。

 常識のある、良質の教育を受けて成長し、成人した大人たちの内面の成熟度は、人によっては非常にアンバランスなものだったりするわけです。

 

インナーチャイルド

 現在の私たちに巨大な影響を及ぼしている小さい頃の記憶を保持している「インナーチャイルド」は潜在意識の領域に含まれます。

 それは何かの切っ掛け、感情を揺るがす何かの引き金が引かれないと表に現れてこないからです。

 感情的に揺さぶられないと深層意識の中に隠れている部分が出てこないのです。

 私たちは一般的には義務教育を受けることが済んでから、場合によっては大学や専門学校、大学院を卒業すると、社会へと入り、就職先に努めながら最終的には家族から自立する生活を送るようになります。

 後には結婚したり、パートナーを見つけて家庭を作り始めます。

 親の保護の元で生活している子供が大人になる段階では、親からの自立という項目が大きな意味を持ちます。

 では学校教育で「大人になるとは?」といった内容の講義が行われるか? といえば、決してそうではありません。

 授業の中に「大人にな るために学ぶ最低必要限な内容」というクラスはないのです。

 大人と言う定義は、ある程度肉体的に成長して、社会に出て働いて自立するという姿が一般的です。

 その他にも「大人としての分別を持つ」とか、「大人としての振る舞いを身につける」ということも含まれます。

 では社会に出ている大人の全てが、この「大人としての分別」や「大人としての振る舞い」を身につけているかと聞かれたら、それは千差万別だとしか書きようがありません。

 しっかりとした大人としての自意識を持っている人もいれば、全くそうでない人も沢山います。

 人間は大人になっても感情を持つ生き物であることに変わりありません。

 社会生活の中でも多かれ少なかれ感情が乱れて、理想的な大人とは思えない言動をする場合も多々あります。

 見かけは立派に成長した大人の姿をしているけれど、何かのことが感情や心の動きに引っかかると、潜在意識の中に隠れている未成長の子供の部分・大人の中の子供性が急に顕在の意識の中を支配して、とても分別のある大人の言動とは思えないことを言ったり、行ったりして他人の感情をコント ロールしようとするのです。

 前の部分で感情のドラマとコントロールは「生き残りのシステム」だと書きました。

 子供は成長する段階で、様々な体験を通じて大人へと変容してゆきます。

 そして大人としての意識が成長してゆくと、大人っぽい振る舞いと、子供っぽい振る舞いくことや、言葉を覚えて、会話として話すこと学んでゆき、その中で様々な違いを見いだすようになります。

 子供によっては幼少時から大人っぽい振る舞いをする場合もありますが、そうだからといって、大人になってから突然にインナーチャイルドが出現しないのかといったら、決してそうではありません。

 子供にとって大人のように振る舞うというのも、生き残りの智慧の一つだからです。

 ではこのインナーチャイルドが潜在的な意識に隠れてしまうという部分について書いてみます。

 子供は成長する過程で様々なことを学びます。

 その中で最初に出てくるのが、生き残るための智慧です。

 乳幼児の頃は欲しいものを自分で手に入れられないので、お腹が空いたら泣く、 ウンチやオシッコが出て気持ち悪くなったら泣く、’眠たくなっ たら泣きます。

 言葉を自在に操れないので感情や身振りなどの行動でコミュニケーションを図ることを学び始めるのです。

 孤独を感じたら泣く、愛情が欲しかったら泣く、とにかく親の意識を自分の方へ向かせるために、何かしらの訴える行為をするわけです。

 この部分が生き残るための智慧の始めの部分、生き残るための基本的な動機です。

 子供は言葉が話せないからといって、考える力が全くないわけではありません。

 脳が成長をしていって自然に言葉を学ぶ、言葉の使い方を学ぶ、会話の方法を学ぶように、子供は自分の見る世界、感じる世界を通じながら、周囲の環境から様々なことを学ぶのです。

 この部分は最も動物的なセンスだと言えるでしょう。なぜなら人間であれ、どのような動物であれ、赤ちゃん状態の時は同じように見よう見まねで学ぶからです。

 人間が本来持ち備えている動物的な智慧は、自分と周囲の環境を通じて働きます。

 大人の視点から考えると、子供の世界観というのはとても狭いものです。幼児期の子供は自分中心にものごとを捉えるのが普通です。

 親を自分の思う通りに動かそうとする乳幼児の視点から見ると、自分を中心にして家庭が動いているように思えるからです。

 子供よりも生活範囲、社会の範囲の大きい大人に比べる と、子供を取り巻いているのは家庭環境だけです。

 子供は家庭の環境しか知らないので、その他のことは頭の中にデータとして入ってないのです。

 家庭以外のことを考慮にして考えることなどできない子供は、その狭い世界観の中で思い込みの世界を創り始めるのです。

 そして、その狭い世界の中で経験したことを基本にしてその上に様々な経験を通じての新しい感情、新しい考え、考察、アイデア、推測、思い込みなどという情報が上書きされていきます。

 

思い込みの原理

 私たちは言葉でのコミュニケーションから学ぶだけでなく、 感覚機能を使って学習する能力を持ち合わせています。

 それが「その場の雰囲気を読む」とか「顔の表情を読む」「空気の流れを読む」「行動を読む」という風に言われるもの です。

 そして、感覚を使った学習の中での重要なポイントは、その多くの場合は「思い込み」のような形で習得されてし まう場合が多いことです。

 例えば父親が仕事で家にいることが少なく、子供の扱いが得意でないとしましょう。

 子供の視点から考えると、父親が子供の扱いに慣れているとか、慣れていないとかは関係ありません。

 絶えず世話を焼いて面倒を視てくれる母親と比較すると、 自分を大切に扱ってくれない、 自分と遊んでくれない、 言うことを聞いてくれないという現実が 「お父さんは私のことが好きじゃない、お父さんは私を愛してない」に結びつき始めます。

 端的に書いてしまうと、子供はその繊細さのために、小さな世界観の中での思い込みで「勝手に傷つく」方向性があります。

 子供には子供の観点と、そこから生まれた思い込みの計算式があるのです。

 子供は自分の頭の中で色々と考えて、自分なりの結果。答えをだしはじめます。

 そしてさらに思い込みが進んでゆくと、お父さんは私のことが好きじゃない、私を愛してないんだ・・・的に思い込 んでいくのです。

 社会的な経験の狭い子供の観点からすると、とても忙しく、そして複雑な大人の社会というのは、想像することもできない、理解しようにも、理解することが不可能な世界です。

 それを理解できないために、自分が生きてきた中での経験を基本にした想像力の中で答えを見つます。

 子供の頃から慣れ親しんだ「思い込みの原理」は、大人になってからも使い続ける傾向があります。

 それが考え方のパターンの基礎として働くようになり、その原理を元にして自分の中で個人的に経験した学びの中に結びつけて、自分なりの答え、自分なりの解釈の結果を導き出すのです。

 例えば子供の頃に自分がしたことで親が怒ったりすると、間違ったことをすると親は怒るという思い込みが生まれます。

 そして親同士が喧嘩したりする風景を見てしまったりすると、自分が悪いのではないのか? と考えたりします。

 このような「誰かの機嫌が悪い、喧嘩をする=自分が原因」的な思い込みの原理が根強く残っていると、社会に出てからもその思い込みの原理で捉えるのです。

 友人や同僚、上司など誰かの機嫌が悪かったりする場合には、自分が何か変なことをした、変なことを言ったから機嫌が悪いんじゃないだろうか? と憶測を立て始めるのです。

 そして自分を小さくし始め、周囲の言動に対して敏感になり過ぎるようになり、それが酷くなると社会的に適応できないくらいに神経過敏な性質になってしまう場合もあり ます。

 

感情のドラマの原因は目の前にはない

 インナーチャイルドが引き起こす感情のドラマのパターンの基本は何でしょう? 

「自分の方へ意識を向けて欲しい」「分かって欲しい」というものです。

 乳幼児が生き残るために必要なものは何かと言うと「親の気を引く」ことです。

 自分に意識を当てさせなければ自分では生き残ることはできません。

 ある程度、歳を経た子供でも、成人した大人でも、インナーチャイルドが感情のドラマを引き起こす時には、「自分に意識を向けて欲しい」という潜在的な欲求が働くのです。

 例えば潜在的に愛されたいという欲求が高い人は、愛されるために様々なドラマを作りだします。

 他からの愛情を自分の方へ向けるために手練手管を編み出すのです。

 そしてその表現のされ方は千差万別です。

 素直に愛されたいと表現する人もいれば、会話や行動にの中に滲み出すようにして間接的に表現する人もいます。

 本当は好きなのに、あたかも大嫌いだという風に逆説的に表現する人もいます。

 また子供の頃に欲しかったものが手に入らないと 怒る場合があります。

 欲しいものが手に入らないというストレスという言い方もできるでしょう。

 感情を荒立てたり、物を投げたり、暴力的な行為に出て周囲を威嚇するわけです。

 幼少の頃から自然な感じで素直に自己表現をすることを学習していないと内面が屈折してしまうのです。

 そしてこれが酷くなると、自分を傷つけたり、周囲を傷つけたりするように変容してゆき ます。

 感情のドラマの多くは、その原因になっている経験が幼児期に学んだことが殆どなので、目の前に起きていることに意識を当てて解決しようとしても、また同じようなことが繰り返され ます。

 本当の原因は、目の前にはなく、自分の過去にあるのです。

 目の前の出来事を解決しても同じことが繰り返される場合は、意識の奥底に植えてしまった「種」を見つけ出し、その種を成長させる努力をしてゆかないと改善されにくいということ です。

 インナーチャイルドは絶えず意識の表面に現れているわけではありません。

 しかし一度それが意識に浮上してきて顕在意識を乗っ取ってしまうと、そのドラマの中に入り込んでしまうので、自分で気づくことは難しくなります。

 特に感情が高ぶっている間は、その感情のエネルギーが落ち着いた状態になり、客観的に考えられるような意識の状態にならないと冷静になって 自己分析をすることは難しいでしょう。

 自分の中のインナーチャイルドを見つけ出す手始めは、何か自分が感情的になってしまった後に内省してみることです。

 自分の言ったことや、行動を思い返して自分に聞いてみるのです。

「自分は一体どうしてこんなことを言ったのだろう」

「どうしてあんなに怒ったのだろう」

「どうしてあんなに悲しかったのだろう」

「本当は何が欲しかったのだろう」と自分に聞いてみるので す。

 多くの人は何かドラマを起こしてしまう、起きてしまうと自分の外に答えを見つけ出そうとします。

 罰が悪いというのもありますが、自分の中に責任を見るよりは相手の方へ責任を持たせた方が楽だからです。

 それには「欲しいものを与えてくれな かった相手が悪い」という思い込みの原理も関係します。

 環境や人間関係が変わったにも関わらず、何度も繰り返すようにして同じような経験をする場合は、明らかに自分の中に原因があるということを教えています。

 自分の意識の深層に隠れてしまっている子供の頃の意識は、認められたいために顔を出しては、その隠れ家の在処を自分自身に教えているのです。

 いったんそのような自分のインナーチャイルド的な精神と感情のパターンに気づいてゆくと、そこから自分の思考と思い込みのパターンを理解できるようになり、それを始点にして、インナーチャイルドの成長を促す方向へと導びけるよう になります。

 現在では数多くの児童心理学や、心理学、またインナーチャイルドに関係するカウンセリング関係の書籍などが出版されているので、興味のある方はそれらの本を読んでみることをお勧めします。

 

▶︎「潜在意識で保たれている肉体の機能」へ続く

 

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