第二章 意識のテクノロジー 16

 

人間の感覚機能

 

 

 今まで書いてきたクレアアリエンスの経験を元にポイントをまとめてみると、次のような項目が浮かび上がってきます。

 

 

◎香りは鼻腔を通じて脳内で認知される 

 

 

◎匂いの伝達には距離間、そして時間的な問題は関係ない 

 

 

◎A地点とB地点が直結されている、繋がっているように捉えることができる 

 

 

◎香りに包まれている、香りが空間に出現する場合 

 

 

◎香りがいきなり鼻腔の中に出現する場合 

 

 

◎鼻腔を通さずに香りを脳内で認識する場合 

 

 

 これらの項目は、その他のクレアの説明の中で書いてきた体験談の中に共通するものです。

 

 

 これを感覚機能として置き換えると、次のことが浮かび上がってきます。 

 

 

◎感覚は脳内で認知される 

 

 

◎感覚の伝達には距離間、そして時間的な問題は関係しない

 

◎A地点とB地点が直結されている、繋がっているように捉えることができる 

 

 

◎感覚として捉えるものが空間に出現する場合 

 

 

◎感覚として捉えるものが、いきなり感覚器官の中に出現する場合 

 

 

◎感覚器官を通さずに脳内で直接的に認識する場合 

 

 

 超視覚であれ、超感覚であれ、超聴覚、超臭覚、超嗅覚であれ、サイキック的な能力の全ては現代医学でのそれぞれの感覚器官と同じく最終的には脳内で認知されます。

 

 

 目を通じて、肌を通じて、鼻を通じて、舌を通じて、耳を通じて普通に何かを感じても、それぞれの受けとった情報は、神経網を通じて脳へ送られ、最終的には脳内で認識が起こります。

 

 

 そしてクレアの能力の場合もそれと全く同じように脳内で全てが起きるのです。 

 

 

 ではそれぞれのクレアの感覚機能が、音や映像、匂い、味覚などが目や耳と言った感覚器官に入る前の段階、それらが初めて捉える時のことを書いてみます。

 

 

 

 

相対性理論を超えている世界

 

 サイキック的に様々な器官を使って映像や音、匂い、味、体感などを受けとる場合のほどんどは、距離感やA地点からB地点に移動する時にかかる時間的な動きには関係ありません。

 

 その起き方は、まるでA地点とB地点がドラエモンのどこでもドアのように直結されている、またはその二つの地点の間には距離が存在しないように見えます。

 

 この現象には距離と時間の関係という物理学的なアイデアは全く適応されません。  

 

 現在の物理のアイデア、ニュートン派の相対性理論的な観点で捉えると、A地点からB地点に移動する場合には必ず時間が派生します。

 

 物質の移動は時間という概念の影響を受けるのです。

 

 ニュートン派の物理学的な見地でサイキック的な現象を捉えてみると、相対性理論に当てはまらないという図式からナンセンスに当たるのです。   

 

 前にも書いたように、アメリカ政府は過去に当時での20ミリオンと言う巨額の予算を与えてサイキック的な研究を行い、旧ロシアでも同じようにサイキック能力の研究が行われています。

 

 後の章でも書きますが、量子物理学的な考え方でサイキック的な現象を捉えるとどうなるのでしょう? 

 

 量子物理学者はすでに、意識が物質を繋ぎ止めているとまで明言しているのです。   

 

 世界中に存在するサイキック的な能力を持っている人達というのは、実質的に考えてみても図り切れない人数に及ぶでしょう。

 

 彼らのように超感覚的なセンスを使える人達がナンセンスなものではなく、それを解明できないことがナンセンスではないのでしょうか?   

 

 今までサイキック的な事柄に関するものは、非常に不鮮明というか、理解のしがたいもの、証明のできないものというように捉えられてきたと思います。 

 

 その原因は、それらの能力を持っているサイキックな人達が、どうしてそれが可能なのか、どういう仕組みになっているのかを上手く説明することができなかっただけかもしれません。

 

 その能力を上手く使えるということと、それを上手く説明できる、教えることができるということは違う方向性のものです。 

 

 もしこれらのサイキック的な能力の秘密、どうすれば能力を開発できるのか?  

 

 その能力を使いこなすための構図、その能力の構造がわかりやすく書かれている取扱説明書ようなもの、またはイタリア料理がうまく調理できるようになるための料理本のようなマニュアルが誕生すればどうなるのでしょう?  

 

 本格的なイタリア料理など創ったことがない人に、本場のイタリア人が美味しいと思える料理を創ってだしなさいということのほうがナンセンスでしょう。  

 

 お料理の本でも、プラモデルの設計図でも、誰でもできるように導いてゆくためには、全体的なイメージが必要になります。

 

 マニュアル本というのは、どこから始めて、どういう風に進めてゆけば、どのようなものが完成されるという方程式、または図式を表したものです。

 

 そしてマニュアルを制作する時に必要なものは、それが一体どのように組み立てられているのかを表した構図です。

 

 基本的な構図、料理の方法がわかったのであれば、それを元に設計図を書くことやレシピを書けるでしょう。

 

 それを元に始めれば、最終的には誰でも同じようなものを作り出すことができるのです。   

 

 サイキック能力を開発することをテーマにした時に必要なものは、部分的な理解ではなく、総体的な理解、全体的に捉えることを可能にする「構図」、そしてその構造を表した「設計図」です。

  

 では、この時間と距離を超越しているように見えるサイキック的な現象というのは、一体どういう構造を持っているのでしょうか? 

 

 もしこのサイキック的な現象を可能にしている何かの構造がわかり始めたらどうなるのでしょう?

 

 そしてより多くの人々がこれらの構造を理解し始めたら何が変わるのでしょう?   

 

 キプロスの賢者であり、類い稀なヒーリング能力を持っていたダスカレは、そのスピリチュアルな技術を使って、湾曲した背骨を反物質化して、正常な背骨を物質化して、全く異常のない、正常な脊髄へと変化させることができたそうです。

 

 外見的には私たちと全く変わらない人間だった彼が、脊髄という物質を半物質化してしまうそして全く新しい脊髄として物質化できるということは何を意味しているのでしょう?   

 

 では更に話しを進めて、サイキックな能力を駆使するために絶対必要な、私たちの「意識」というものに関して書いてみます。

 

▶︎「第3章 意識の構造」へ続く