第1章 エジプト紀行

 

アスワンの記憶

 翌日には国内線の飛行機に乗ってナイル川の上流に位置するアスワン・ハイ・ダムの少し北にある都市、アスワンへ向かいました。古代エジプトでは「スウェンテット」と呼ばれ、その呼び名は古代の女神の名前だとされていますが、女神スウェンテットに関する詳しい解説は英語で検索しても出て来ません。後に古代エジプトがローマ帝国の支配下になった時に、女神スウェンテットはギリシャのエイレイテュイという名の女神に当てはめられました。エイレイテュイは神々の王ゼウスと、その正妻であるヘーラーの間に生まれた娘で、結婚の神でもあるヘーラーのお供として、出産と産婦の保護を司るために、女神スウェンテットはギリシャの女神エイレイテュイと同じような位置で人々に崇められていたと考えられています。

 出産の際に産道が開いて赤ちゃんが出て来ること、それを助ける女神ということから「開き口」という意味がスウェンテットという呼び名の意味に含まれています。またスウェネットというヒエログリフは古代エジプト語での「貿易」という意味だとも解説されています。ナイル川の上流の開き口という意味を持つスウェンテットの街は「スウェネットの開き口」または「スウェネットの始まり」と 理解されています。

 アスワン=スウェネット=スウェンテットの街で有名なのが、アブ・シンベル神殿、そして女神イシスを奉っていたフィラエ神殿です。

 アブ・シンベルの大神殿が奉っているのは、アムン、太陽神ラー・ホラクティ、そしてプターという神々です。小神殿は女神ハトホルを奉り、それだけではなく、ラムセス2世が最も愛していた王妃ネフェルタリに捧げられた神殿でもあります。これらの遺跡は新王国時代第19王朝のファラオ、ラムセス2世によって20年の歳月を費やして建立されたと解説されています。

 アブシンベル神殿はアスワン・ハイ・ダムの建設によって水没してしまうことが懸念され、ユネスコによって救済活動が行われたことでも有名で、ユネスコは1964年から1968年までの4年間の中で神殿を正確に分割し、210メートル離れ、標高が60メートル高い丘へと移して再築しました。

 元神殿の位置では、毎年2月22日と10月22日に太陽の光りが聖域の奥の壁にまで差し込み、冥界を司る神プターを除いた神々のイメージへ届けられると解説されています。

 巨大なアブシンベル神殿の移築と同じように、女神イシスを奉ったフィラエ神殿もユネスコによって場所を移され移築されています。

 フィラエ神殿群の始まりは第30王朝のファラオだったネクタネボ一世の時代、BC380年~BC362年からとされ、女神イシスの神殿が建設されたのは、グレコローマン時代、プトレマイオス朝の中だとされています。

 出産と産婦の女神イシスを奉った神殿の名前「フィラエ」とは「境界線」という意味も持っているそうです。フィラエ神殿の主神は女神イシスですが、その他にも女神ハトホル、ハレンドーテス=ホルス神も奉っています。

 1992年のエジプト旅行の際にアブシンベル神殿とフィラエ神殿に行ったのですが、なぜか記憶の中に強く残っていません。アブシンベル神殿の巨大さはおぼろげながら印象に残っているのですが、この神殿に対するスピリチュアルな感覚を通じての興味はホボ無く、それと同じようにフィラエ神殿にもさほどの興味は湧いてきませんでした。通常の場合、このような古代遺跡に行くと何かしらのサイキックな感覚が働き始めて、様々な角度での情報収集が自動的に始まるのが普通なのです。見た目の巨大さや、実物の下を歩いたり、見て回った時の不思議な違和感と、感覚が動かなかったことは覚えています。そのような曖昧な記憶の中で、フィラエ神殿の中の一部の四角い小さな神殿の中を通った時に、亡くなった人のスピリットの存在を感じたくらいで、それ以外はアンテナが強く動くことはありませんでした。

 そんなことを思い出しながら考えていて腑に落ちたことがありました。それはアブシンベル神殿も、フィラエ神殿も元々の場所で解体され、別の場所に移築されているために、元々の土地の上に建っていた時の「記憶=記録」が失われているということでした。その当時は古代エジプト文明に関して深い興味は持っていなかったということもあり、余計にアンテナに引っかからなかったのでしょう。 

 一般的に古代文明の神殿や遺跡などの聖域は、パワースポットとしての力を持つ土地の上に建立されるのが普通です。天然のパワースポットの上に神殿を建立することによって、神殿そのものがパワースポットとして機能するのです。しかし、アブシンベルとフィラエの神殿群は別の場所に移されて再築されたことによって、元もと神殿が建っていた土地の力と、その上に記憶されている様々な波動的な情報は動くことはなかったのだと思いました。その他の遺跡は元々の場所に残っていますから、後に訪問した様々な遺跡では、それなりにサイキックな感覚やアンテナは動いていたのです。

 今は古代エジプトの叡智や発掘品などに強い興味を持っているので、近い将来にエジプトに赴いてアブシンベル神殿とフィラエ神殿へ再び行く機会に恵まれたのなら、移築された遺跡そのものに波動的な記憶が少ししか残っていなくても、もっと深くチューニングして、元々の場所まで波動を追跡して繋げることが出来るのかも知れないと考えたりします。特にフィラエ神殿に関しては、女神イシスを含めた、ハトホル神、ホルス神などを奉っている総ての神殿群に残されている壁画を隅から隅までジックリと間近で見たいという欲求があります。その理由は、このフィラエ神殿の壁画の中に、古代エジプトの光りの錬金術に深く関係する壁画が必ずどこかに残っているはずだからです。

 2012年に知り合いの女性がエジプトに長期滞在をしたので、彼女に頼んでフィラエ神殿の写真を可能な限り撮影して送ってもらいました。しかし隅から隅まで余すこと無く総てを撮影して送って来たわけではないし、壁画も部分的で全体像までは解りませんでした。

 後に古代エジプトの驚異的な建築技術に関するドキュメンタリーを見た時に、その中でフィラエ神殿の一部が紹介され、その一部は古代インカ帝国の石切の技術と酷似している方法が使われ、剃刀の刃も入らないほど精密に切り出され、緻密に組み合わされていると解説していました。通路を挟んでいる石壁は、使われた石の大きさも、その組み方も全く同じ鏡像になっているのだそうです。そして近代的な機械を使ってさえ難しい作業を、一体どのようにして建築したのか解らないと話していました。古代エジプトの建築技術というのは、ノミや石鎚ちだけで切り出され、彫り込まれて作り出されたのではないことだけは明らで、何かしらの電動的な器具が精密に使われているのだそうです。

 

▶︎「ワニ神を祀るコムオンボ神殿」へ続く