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第1章 エジプト紀行 10

 

サッカラの神秘

 サッカラという地区は古代の巨大な葬祭場だった場所で、その名前は古代ジプトの葬祭神ソカーではなく、ベニ・サカーという地元のベルベル人の部族からです。

 サッカラ北部は第一王朝時代から高貴な人々の墓場として選ばれ、王族が最初に埋葬されたのは第二王朝時代からです。

 ここにエジプト最古のピラミッド、紀元前27世紀の第3王朝で第2代目のファラオだったジェゼル王の階段ピラミッドがあります。

 ジョゼル王のピラミッド複合神殿群は、他には類を見ない総てが石で建造され、彼に遣えていた高級神官イムホテプが設計して造ったものです。イムホテムはトト神の神官であり、祭儀文朗読神官長の地位にあり、建築家、内科医としても優れていたと解説され、その死後は「知恵、医術と魔法の神」として神格化され、ギリシャの医神アスクレーピオスと同一視されています。

 サッカラで発見されたのはピラミッド群だけではなく、第五王朝のファラオ、ウナス王の墓の壁面に刻まれていた文字が古代エジプト文字を解析する手がかりとなり、それがピラミッド文書と呼ばれる古代エジプトで最も古い葬祭文だと判明しました。

 1992年のエジプトツアーの中でもサッカラに訪れたのですが、残念ながら良く覚えてなく、ウナスのピラミッドに入ってピラミッド文書が刻まれている部屋の天井に描かれていた星をデザインしたパターンの色合いと美しさに目を奪われたこと、引率していツアーリーダーのチャネリングするエンティティーの指示で、階段ピラミッドの周辺にあった石を抱えてピラミッドの周りを走ったことくらいです。

 しかしサッカラ見学を終えて大型ツアーバスに戻ってギザへと帰る道のりの途中で、頭の中心に堪え難いほどの痛みを伴った酷い頭痛を経験しました。それは少しづつ始まったのですが、普通の偏頭痛とは全く違った痛みで、頭の中心から頭蓋骨の全域まで酷く振動しているような感じで次第に痛みが強くなり、最も酷い痛みだった時は頭が割れてしまうのではないかと心配になったくらいです。最も酷かった時の長さは約1分にも満たなかったと思いますが、始まりから完全に頭痛が消えてしまうまでの時間は、20分とか30分とか長かったと思います。

 あまりの凄さ少し参ってしまい、ペルー旅行で一緒だった女性に聴いたら、彼女も同じように強烈な頭痛を経験したと話してくれました。サッカラのピラミッド群と、頭痛が起きた場所は、第三の眼に関係するパワースポットだったのではないかと思いました。

 バスがホテルに到着するとツアー参加者が次々に降り始め、最後にペルーに一緒に行ったお爺さんが口から白い泡を吹いた状態で抱えられて出て来ました。お爺さんはツアーリーダーのチャネラーさんの指示によって膝と額を地面に付けさせられ、チャネラーさんが彼のお尻から頭に向けてエネルギーを払って、額から地面へ向けて流し去るような動作のヒーリングを行っていました。その成果が上がったのかお爺さんの容態は少しづつ落ち着きを取り戻し始めました。後から聴いた話しだと、途中からクンダリーニが上がってしまったので具合が悪くなったのだそうです。

 サッカラの中で最も興味深いのは、ギザ周辺の遺跡の中で最も神秘的な〝セラピウム〟地下の埋葬場で、2001年から修復のために閉鎖され、2012年の9月まで公開されていませんでした。

 セラピウムというのは〝セラピス〟の神殿のことを指します。セラピスはオシリス神と古代エジプ都市メンフィスで信仰されていた冥界で死者を守る聖なる牛〝アピス〟を合体させた神様です。聖牛アピスは王が死の後に天界で冥界と再生の神プタァの加護によって、冥界の王オシリスと聖牛アピスを合体させた神格オシラピスになった姿で、元もとプタァ神の化身で布告者であり、王権の質を具象したファラオの象徴でした。

 青い頭のプタァ神は創造の神であり、鍛冶や職人、大工、船大工、彫刻家の守護神で、古代エジプトの神々の中で最も権威を与えられている、ラー、アイシス、オシリス、アムンと共に5神の中の一人として崇められ、地下世界との繋がりからオシリス神と同じく冥界の神ともされています。

 オシリス神がプタァ神の意味合いを含み始めると、プタァ・セカァ・オシリスとなり、聖牛アピスはプタァ神の側面からオシリス神の化身へと変わって行きます。

 死者を保護する聖牛セラピスを奉る地下セラピウムへの入り口は、1851年に爆薬を使って開封されました。入り口から続く回廊の両脇には合計24もの部屋があり、それぞれには人間の背丈よりも高い巨大なグラナイト製の石棺が置かれています。石棺は一つの巨石で、箱形に中を刳り貫いて製造されたもので、長さは4X2.3メートルX高さ3.3メートルで、重さは80トン。それらの石棺の蓋も巨大なグラナイト製で、発見された当時、蓋は正しい位置から動かされていました。

 歴史学者はこれらの巨大な石棺の中には聖牛アビスのミイラが納められていたと解説していますが、実際の牛のサイズにしては巨大過ぎで、発見された時に中には何も入っていなかったでそうです。

 回廊をさらに進んで行くと、別のギャラリーが現れ、この部分は小さな洞窟で実際の牛の大きさに見合った木製の棺の中から28体のアピスのミイラが発見されました。その内の7体のみは防腐処理を施され、第18王朝のラムセス2世の時代のものだと判定されています。続いて三つ目のネットワークと更なる部屋と石棺、木棺が見つかりました。

 サッカラの地下回廊とセラピウムに関するビデオを見た限り、一般的な解説では噛み合ない部分が沢山あります。実物の牛をミイラ化した大きさよりも遥かに巨大な石棺と、石棺を造った技術、一つが80トンもある重量をどのようにして移動させたのか、そして周辺の遺跡との完成度のチグハグさです。

 この地下遺跡の古い部分はギザの大ピラミッドの内部と、スフィンクスの足の下に発見された地下洞窟の中の構造にとても良く似ています。これらは王や聖牛の墓などではなく、他の目的で造られたもので、後のファラオ達によって、神殿や埋葬場といった別の目的で再利用されたものだとしか思えません。

 サッカラの地下回廊と巨大な24個の巨大な石棺は、ギザの大ピラミッドと共に超古代では発電所として機能していたはずです。

 

▶︎「ギザのピラミッドの謎」へ続く

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